剣客商売1
剣客商売1の2話目、剣の誓約の読書感想

1話と打って変わって実に渋い


あらすじ
 秋山大治郎の下を訪れた老武士の名は嶋岡礼蔵。かつて大治郎の父・小兵衛と同じ師に剣術を学び、弟弟子であった。彼は、大治郎に「死に水をとってもらわねばならぬ」と告げ……。


登場人物

秋山大治郎
 小兵衛の一人息子。大柄で、巌のような体躯をした剣客。13歳の頃に剣客として生きることを志し、15歳から約5年、小兵衛のかつての師・辻平右衛門の下で修業していた。

嶋岡礼蔵
 57歳。かつて秋山小兵衛と同門の道場で稽古をつけた、小兵衛の弟弟子。師の辻平右衛門が江戸から山城の国・愛宕郡・大原の里(現代で言う京都府の南部)に隠居する際に付き添う形で小兵衛と別れて以来、顔を合わせていない。剣客を志した大治郎が小兵衛の指示で山城に修行に来た際、辻平右衛門に続く第二の師として大治郎を指導していた。剣客としての生き様をこの一話で体現する男。

秋山小兵衛
 かつて江戸で名を馳せた老剣客。60歳。小柄な体格だが、剣術冴え渡り、適う相手はいない。今回は終盤まで目立った出番はないものの、その存在感は抜きんでている。


柿本源七郎
 かつて礼蔵と二度の果し合いをした剣客。24歳での一度目は敗北、34歳での二度目は腕を上げたため引き分けに終わり、此度の三度目の果し合いとなった。礼蔵に渡した手紙の筆跡に違和感があり……。

伊藤三弥
 柿本源七郎に仕える小姓。源七郎の男娼であり、深い情で繋がっている。源七郎が果し合いをすると知った彼は……。


道場主・大治郎
 冒頭、道場主としての大治郎の姿が語られる。当時の道場主はむしろ門弟にへりくだるのが当たり前だったようだが、大治郎は厳しめのスタンス、剣術と言うよりその前段階の基礎修行に重点を置き、いきなり四貫目(15kgくらい)の振棒を与え、自在に扱えるように素振りさせるのみ。辟易した初の門弟に逃げられても平然としている。
 やはり小兵衛や別の師のやり方をそのまま使ったものだろうが、時代に即していない、むしろ合わせる気が無いのは、大治郎の融通の利かないところと言えばそうだし、逆に昔ながらの実直な感じが伝わる。


嶋岡礼蔵という剣客
 小兵衛の弟弟子・嶋岡礼蔵はまさしく剣のみに生きる人。俗世に溶け込む小兵衛と対照的に、世間に対し自分を捨てきれない頑固さが見え隠れしている。今の小兵衛に合わせる顔が無い、と思い込むのもその一つ。
 好む好まざるにかかわらず、過去の約定によって果し合いをしなければならない。師の辻平右衛門が亡くなり、一介の老爺として暮らしている現在でも、それは絶対。剣客の厳しい世界観が伝わる。時代背景は徳川第十代将軍・家治の時代。平和が長く続く時代に、命のやり取りが成立する武士の世界はおっかない。

 礼蔵が息子の下を訪れたとは知らない小兵衛は、息子が心配と見えてちょくちょく様子を見に来る。礼蔵と比較して、やはり人間味と言うか親しみがある。


柿本源七郎と伊藤三弥
 大治郎が礼蔵の果し合いの相手の下へ手紙を届ける役目を負う。応対する小姓・伊藤三弥のいかがわしい感じと言い、のちの伏線たる字の描写といい、大治郎の立場に立つとなかなか謎めいている。
 嶋岡礼蔵の果し合いの相手、柿本源七郎の病状の深刻さも無情。果し合いの約定が10年という長いスパンであるからこそ、長い間心技体を保ち続けるのは至難の業。しかし、いきなりの男娼描写は驚く。家の手入れは隅々まで行き届いている点もあり、三弥の細やかな気配りがうかがえる。


剣客・礼蔵の矜持
 秋山小兵衛との思い出を語る礼蔵が渋さの塊。剣にのみ打ち込む人生、というのも傍から見ると儚い。
 さらに、礼蔵は柿本源七郎についての印象も子細に語る。柿本は初対戦で礼蔵に敗北、十年後に再戦し引き分け、さらに10年後、今回の果し合いとあって、24歳から実に20年間も修行に明け暮れ、世間に出てこない。もはや渋すぎて顔がクシャクシャになりそうだ。


小兵衛のいま
 果し合いの前日、かつての江戸の思い出を辿る礼蔵と別れ、大治郎は小兵衛にこの事実を伝えるものか迷う。若者らしき迷いと言うべきか、礼蔵の危惧通りに礼蔵が負けた際、勢いで決闘を申し込むべきか否か。果し合いの付き添いに赴く剣客は、その助太刀として呼ばれることも多い。その是非を父親に尋ねたいが、礼蔵の意思に背くことになる。

 迷いを抱えたまま小兵衛の隠宅のそばに来た大治郎は、その道すがら、三冬とすれ違う。とげとげしい三冬とうろたえるばかりの大治郎という、奥ゆかしい二人。さらに、隠宅から響くおはるの嫉妬の悲鳴。大治郎、さすがに根負けしてしまう。この辺り、礼蔵の現在位置と見比べるとなんとも色鮮やかだ。大治郎が立ち寄っていれば……


おのれぇー!
 小兵衛や大治郎との関係で、礼蔵に対し、愛着を抱いてきた読者を憤怒させるのが、三弥が礼蔵を弓によって闇討ちした一件。病床の源七郎に勝ち目がないと悟っての行動だろうが、剣一筋の嶋岡礼蔵という人物に愛着がある読者は、彼が果し合いに臨むことなくあっけなく死ぬという剣客として何ともむごい仕打ちを喰らうのを見せつけられる羽目に。師を討たれ、怒りに満ちて三弥の腕を切り落とす大治郎の剣術の冴えが見事。
 何よりすごいのは、胸に矢を受けながら、襲い掛かる刺客と渡り合っていた礼蔵の底知れぬ実力。見事な死に際すぎる……。


柿本源七郎、あっぱれ
 復讐に燃える読者は、小兵衛と大治郎が嶋岡礼蔵の遺骸を伴って柿本源七郎宅を訪れる際に、仲間の一人になった気分を味わう。
 しかし、源七郎は自身の門人・三弥の非礼を亡き礼蔵に詫び、自らの手にした短刀で自身の胸を一突き、息絶えてしまう。読者は怒りのやり場を失う。三弥の扱いに賛否はあるだろうが、実に潔い死にっぷりに感心するしかない。


礼蔵の意地
 礼蔵の仮墓地の前で、小兵衛は大治郎に、三弥の恨みを買ってしまったこと、その因縁は深いこと、剣客として乗り越えていかねばならぬことと告げる。
 小兵衛は意外な事実を語る。小兵衛の亡妻・お貞をかつて礼蔵と取り合い、小兵衛が勝った。礼蔵の意外な一面と、小兵衛と会わなかった理由がここで判明する。おたがいに老境とはいえ、礼蔵の方はかつての恋敵と顔を合わせるのに抵抗があったということだろう。


総括 渋くて空しくて
 個人的にお気に入りの一作。なんとも渋い。小兵衛の弟弟子で大治郎の師という恵まれた立ち位置で登場した嶋岡礼蔵というキャラの、生き様と末路が無情という他ない。死ぬつもりだった果し合いに望めぬうちに息絶えるばかりか、相手の源七郎も病気でままならぬ状況というのが、むなしい。このむなしさはなかなか味わえない。